みゅーのたわごと

あんまり気張らずにのそのそ続けられたらいいね。

神のような要約アプリ・flierについて

こんにちはみゅうです!

今回は、友達のかよ(@0810kayo)が鬼のように推していて、思わずインストールしてしまったアプリ、flier。
月額使用料二千円をpolcaで支援していただいたので、リターンとして、1ヶ月間使ってみた感想を記しておきます!
支援してくださった、田島さん、ながたし、ゆめじさんに感謝を込めて。

 

1、そもそもflierってなんぞや。

Flierとは、1冊あたり約10分で、話題のビジネス書の要約を読めちゃうサービスのことです。

月額2000円の「ゴールドプラン」に加入すれば、アプリ内の要約1300冊分以上を自由に読むことができます。要約を書いているのは、有名コンサルタントや専門家がほとんどなので、その質は折り紙つき。サクッと開いて要約を読める点で、UIにもこだわっているアプリだなと感じました。

2、いままでのみゅーの読書について

バイトヘイターみゅーの財布は、あんまり潤っているとは言えず。あんまり贅沢はできない!本なんて買っている余裕はない!ような生活を送っていました(余談;職を変えて、今はちょっとだけ文化的になったよ。心配しないでね)

でも、本は読みたい!勉強したい!ので、話題本が出たと思ったらまずはとりあえず図書館検索。予約の順番待ち389番くらいでがっくり。あと何年待てばいいんだよ・・・と思いながら泣く泣く書店へ行き、あまりにも魅力的すぎる本たちの前でうんうん悩み、その月の一番読みたい1冊を頑張って選び、清水の舞台から飛び降りる気持ちでレジに並ぶ・・・そんな読書ライフを送っていました。
(こう見るとだいぶかわいそうですね、でもいまは職を変えたので(以下略))

1月あたり1冊。それを、行き帰りの電車の中で8時間くらいかけてゆっくり読むんです。わたしの小さな通学リュックを占領する分厚いビジネス書。でも、内容は面白いものが多かったから、まあいいかな。そうやって、かみ砕くように1冊の本を読むののが、私の読書スタイルでした。

3、突如現れた救世主flier

そんなカツカツ女子大生みゅーの前に突如現れた本の要約アプリ、flier。

彼女(?)、半端なかった。

半端ないポイント① 質の高い要約が2000円で読み放題。
2000円で。読み放題。2000円。え。あの、私がいつも鬼のように悩んだ挙句買っている本たちは、だいたい1500円。それ+500円で、話題の本が、全部読み放題。え。だって、そうしたらもう書店の前で悩まなくていいんでしょ?なんの本にするか、取捨選択の「捨」の部分が鬼のように多い作業、しなくていいんでしょ!?神だ。

半端ないポイント② 質の高い要約がスマホで、1冊10分で読める。
スマホで。もう、あの重い本たちを持ち歩く必要性はない。すべては、私の手の中にある。しかも、1冊10分。今まで読書していた時間を、他のことに当てられる。ブログ書いたりとか、ライターの記事仕上げたりとか、事業案練り直したりとか、読書を生かしたアウトプットの時間として使える。

 

もうおわかりだろう。『コスパが良すぎるんじゃ!』

 

そう。flierは、鬼のようにコスパが良いアプリだった。私は感動している

 

4、要約って、読んで意味あるの?

多分、flierを利用する上で懸念するポイントがあるとすれば、ここだと思う。

要約って、所詮要約。作者が数百ページにわたって書き連ねた想いの塊を、10分で読めるくらいの分量で全て汲み取ることは、そうそう簡単に実現できない。

でも、わたしはビジネス書に限って言えば要約を読む価値はあると思う。

ツイッターで、こんなことを言っている人がいた。誰だか忘れちゃったけど、ニュアンスはこんなこと。

本は、「情報」と「表現」によって構成されている。 
情報が2割、表現が8割。

たしかに!その通りだと思った。本当に伝えたいことが伝わるように、作者はたくさん文字を工夫して表現して、相手に届けようとする。
では、その中で、「情報」だけを丁寧に、わかりやすくくりぬいたメディアがあったらどうだろう。80パーセント、本を読む時間が削減できるが、学びとして得られるものには大差がない。

哲学書や物語文のように、その「表現」に魅力を感じ、ゆっくり浸りたい本もある。ただ、ビジネス書については、わたしがその本を読む目的はあくまで「情報」の入手だから、それを効率よく実現できる要約は、いいものだなって思う。

 

5、補足 使っていて感じた、flierの良きこだわり

Flierでは、本を1冊読み終わるごとに、「コメント」欄が開く。そこで、ユーザーはその本から得られたこと、感想などを書き込むのだ。

私はしばしば、「読んで終わり症候群」にかかることがある。読書を終えた達成感から、その後すぐにその本から得たことを踏まえて思考を始めることを怠ってしまうのだ。それを防止するのに、この「コメント」欄は一役を買っている。本のエッセンスから刺激を受けて、それをすぐさまアウトプットする。最高やんか!いいね!

 

と、言うわけで、今回は神のような要約アプリ・flierについて紹介しました。

みんなも良ければ、インストールしてみてね。

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ライター、はじめました。

 

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ウッヒョーーーー!

この度、みゅーは、あるベンチャー企業の運営するオウンドメディアのライターとして、お仕事を始めることになりました!

「自分の表現物で頂いたお金でご飯を食べる」っていう夢が、現実になったよ!

思い返せば2ヶ月前。全ての始まりは、しょうもないトッポのブログでした。

トッポは常温の方が美味しいよねって、ただそれだけを描いたブログ。

そんな私のしょーもない言葉に「面白いね」って反応してくれた友達がいて。褒められるの悪くないなって思い、下心からブログをしばらく続けることにしました。笑

 

それから1ヶ月、のそのそしたブログに革新が起きたのは現代アートの記事を書いた時。

こちらですね。自分の大好きな現代アートのことを、本気で書きました。これでも買って、書きなぐりました。

そしたら、そこから話がどんどん広がっていって。

画面越しの、顔も名前も知らない「誰か」が、私の記事を拡散して、感想をくれて、議論になって。

自分の想いを言葉にして、誰かと共有することの喜びを感じて、「書くこと」に魅了されていきました。

 

私は欲張りなもので。

いつしか、もっと多くの人に私の言葉を届けたい。「書く」ということを仕事にできたらいいな。なんてことを考えるようになりました。

そんな中、ネットサーフィンをしていた時に見つけた「学生ライター募集」のホームページ。

埋めるべきプロフィールの欄には、「執筆履歴」の文字。

一回ためらったけど、ええい、ダメ元で書いてしまえ!

そう思って、私はその欄に

「先月から、はてなブログの運営をしています。1ヶ月で、1000pvを超え、読者は49人になりました。この記事が現時点で一番バズっているのでとりあえず読んでみてください(現代アートのリンク)。」

これだけ書いて、送信ボタンを押しました。

 

採用されたの!

 

嬉しい、嬉しすぎましたな!

採用メールが届いたのが2週間ぐらい前で、今日やっとこさ運営の方にお会いしにいってきたのですが。

他にもサークルや学生団体で記事を書いている人たちが結構たくさん応募していたようなのですが、こんな辺鄙な執筆履歴の内容を見て、私のブログをしっかり読んでくださって、2人のうちの1人として、採用を決めてくださったみたい。

いやあ、本当に嬉しかった。社会的に、自分の文章が評価された気がして。

人生、何が起こるかわからない。まずは、飛び込んでみること。しばらくは続けてみること。そのことが大切だなとわかった、出来事でした。

よーし、もりもり書くぞ!

どんな時でも、劣等感を抱かなくなった。

気づけば一年前、私は劣等感の渦の中にいたなあ。

2017年10月、SFCAO入試。ライバルはいわゆる「スーパー高校生」。
みんながそれぞれ自分の「今まで突出してやってきたこと、学んできたこと」を大きな力に変えて、慶應義塾大学に挑んできてた。

いうなれば、席取り大会。武器は、「自分の過去」。

私には、何もなかった。いや、何もやってきてないって、「思ってた」。だから、この受験戦争の中で、何度過去の自分を恨んだかわからない。

部活畑で育ってきた私には、社会的に評価されたものが何一つなかった。他のみんなと違って。コンクールに出たこともないし、何かすごい賞をとったこともない。ただひたむきに5年間、ミュージカルを追いかけてきただけ。毎日朝から晩まで、夏休みも冬休みも返上して、踊ってた、歌ってた。引退前最後の公演ではオーディションを勝ち抜いて主役にもなった。それだけは、自分のプライドのはずだった。

でも一歩、外に出てみたら。みんな、すごすぎるんだよ。なんでそういう思考に至るの?なんでそうやって行動しようと思うの?部活っていう小さなコミュニティに必死になっていた私には、もうほんとに、訳がわからない状態だった。

そんな人たちと、戦った入試。

運良く私は一次試験免除の資格をいただけていたので、二次試験の面接に全てを賭けた。

必死だった。自分をなるべくうまく見せるのに。
自分もあたかも「スーパー高校生」であるかのように振舞って、必死で、背伸びしてた。はっきり言って、苦しかった。

そんな思いでもぎ取った合格。

背伸び、しちゃったんだよな。

大学に入ってもしばらくは、劣等感が拭えなかった。

だってそりゃ、周りは「元」スーパー高校生なんだもの。

何もない私と、すでに何かしら結果を残している彼ら。

大分歪んだメガネで、そういう構図を捉えていた。

だから春、大学始まってすぐは、いろんなことに手を伸ばした。いろんなところにインターンに行ったし、いろんな人に会おうとしたし、いろんな経験を積もうとした。

多分、トラウマだったんだと思う。もう二度と、あの虚無感を覚えたくない。「自分は、何も持っていないじゃん」って、感じたくない。

少しでも、上に、上に。

でもあるとき、気づいたの
私は、なんのためにこれをやってるんだ?

誰かと比較して、少しでも自分が上にいると感じて、優越感を得るため?
他人から「みゅーすごいね」って、褒められるため?

問いに対する答えは、どれも、全部、他人本位だった。

つまんねえ人間だな!!!!!!!!!!

 

すみません、急な乱文。

でもはっきり言って、ほんとに、そう思った。
他人の評価ばっかり気にして、他人のために生きて、何やってるの?

突然、さめちゃった。

だからそれから私は、他人を気にする事をやめた。完全にやめた。

自分のペースで、自分がワクワクすることだけを、することに決めた。

他人に刺激を受けることはある。それはたくさんある。頑張っている誰かの姿を見るとそれはものすごいモチベーションにもなるし、すっごく糧になる。

でも、他人の価値基準で行動することは、全くもって無くなった。
あくまで他人は他人だし、自分は自分だから。
(あ、なんかここで気づいたけど「他人」ってちょっと冷たいからよくないね、言葉のニュアンス的に。要するに「自分」「周りの人」をはっきり分けたの)

そうしたら、劣等感を抱かなくなった。焦らなくなった。

だって、自分の価値を決めるのは自分になったから。相対評価を抜け出して、絶対評価になったから。

 

昨日のSAP(SFCのサークル主催のビジコン)でも、それは一緒で。

周りの参加者はみんな、すでに起業して社長になっていたり、ごりごりシステム開発してたり、要するに客観的に見たら私の数百歩先を行っているような人がほとんどだったけれど。

全く焦りを感じなかったし、なんなら「そんなにすごい人たちと一緒に戦えるなんて、最高じゃんか!勝ちたいぞこれは!」って思った。

一年前の自分だったら、そんなことなかっただろうなって。
すごい周りと自分を比べて、劣等感に陥って、もう無理じゃん・・・ってなっていたと思う

けれど、今の私はそうではない。

そのことが、はっきりしております

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polca 2日で目標金額を達成!感謝の気持ちと「誠」の力

ありがとうの気持ち。誠の力は人を動かす。

 

◾️polcaを使って、願いを叶えた話

友達のかよ(@0810kayo)が先日、一つのアプリをオススメしてくれました。

その名前は「flier」。1000冊を超える話題本の要約を一気見できるという、超超魅力的なアプリ。学びを糧にしたい系芸人の私にとっては、まさに・・・!手に入れたいアプリでした。

ただ一つ難点が。このアプリ、月額2000円だったのです。いくらバイトをしているとはいえ、アプリに月々2000円を払うのは若干の勇気がいる・・・ううーんどうしよ。そう思って考えあぐねていた私は、あるサービスを思い出しました。

それが、CAMPFIREが運営するフレンドファンディングアプリ・polcaです。

polcaとは、自分の「やりたい!」を友達にシェアして、お金を集めるサービスのこと。「何をしたいのか」「いくら必要なのか」「お返しとして何を支援してくれた人に渡すのか」の3つさえ明記すれば、誰でも簡単に利用出来ます。

このサービスを使ってみんなに「私はこの要約アプリを使いたいんです!」って呼びかければ、もしかしたら、本当にもしかしたら誰かがお金を支援してくれるかもしれない・・・

もう半ばダメもとで、でも祈るような気持ちで企画を設計し、リターンを考え、投稿し、twitterにも貼り付けました。

その日は特に音沙汰はなく。ただの女子大生の発信したことだし・・・そんなもんなのかな、と思ってふて寝しました。えーい。

 

でも、次の日、起きてみると・・・

「支援、されてる!?!?!?!?!?」

私が所属している地域活性の団体でいつも大変お世話になっているある方が、支援をしてくださっていたんです。
本当に驚いた・・・まさか、こんなことになるなんて。

そのすぐ後に私の友達が一人、そしてその次の日に私のことをコーカス(学校の政策コンテスト)で知ってくださった方が一人、支援をしてくださって、わずか2日で目標金額を180%という形で達成することが出来ました

感謝しかないです。本当にありがとうございます。

 

◾️今回の一件で学んだこと

私が今回の一件で学んだのは、私がいかに周りの人に恵まれているかというそのありがたさ、そして「誠」の力の偉大さです。

私は純粋に、学びたかった。勉強がしたかった。

少し勇気はいったけれど、それを誠心誠意で「学びたいんです!お願いします!」っていった時、手を差し伸べてくれるひとがいた。

私が文章を書く時いつも参考にしている辰濃和男さんの「文章の磨き方」という本の中には、次のように書かれています。
「誠を込めて、書け。」
誠を込めて書いたものは、伝えたものは、必ず人をうごかす力になる。

そのことを実感した瞬間でした。

 

期待してくださったひと、応援してくださった人に恥じないように、これからも誠心誠意生きて、たくさんのことを学びたいと思います。

本当にありがとうございます!polcaっていいサービスだし、たくさんの素敵な人に巡り会えた私は幸せだ!

おもしろい人の思考には、ダイブしたくなる

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時々、「こいつめっっちゃおもしろいやん!」って人に出会う。

通っている大学で、友達の紹介で、twitter上で、はたまたたまたま乗り合わせた電車の中で話を盗み聞きして。笑

そんな風に、様々な場所で出会った彼らには、たった一つの共通点がある。

それは、「未来を楽しみにしていること」。
容姿でもない、ファッションでもない。ギャグセンスも関係ない。たった一つ、過去でも現在でもなく、「未来」を語る人たち。

いつだって、おっきな夢を持っていて、それを周りに堂々と発信して、まっすぐに生きている。まだ見ぬ世界は誰でもない自分で作っていくんだ!っていう誇りのもと、前へ進んでいく。

魅力的。私もその未来を、一緒に叶えたくなっちゃう。


そういう人に出会うと、私は往々にして、その人の思考へダイブしたくなる。内側を、もっと知りたいから。

「どうしてそう思ったの?」「どういう経験がそうさせたの?」「なんでそういう選択をしたの?」

一つ一つの「なぜ」を掘り下げていく対話のなかで、根本的な価値観に触れようとする。

そうすると、毎回かならず「ああああそれ私も!めっちゃわかる!」っていう体験と、「なるほどねえ、考えたこともなかった」っていう体験を同時にする。おもしろい人の思考へのダイブは、私にとって共感と発見の場所だ。

おもしろい人との対話。偉人の遺した本を読んだり、現代アートを鑑賞するのと同じくらい、私にとって刺激的な行為だ。

対話と議論とおしゃべりと

(noteの方に母体は移行しましたが、なんだかはてブロを辞めちゃうのはもったいない気がしたので、こちらにも同じ記事を残しておきたいと思います!今回は、3日前に公開した記事を。どうぞ)

 

 

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私にとって、人とのコミュニケーションは3種類存在する。

 

おしゃべり・対話・議論
この3つだ

 

まず、おしゃべり。これは、チャットのようなものだ。
思考がほとんど停止した状態で、
溢れる言葉をペラペラとつないでいくイメージ。
コミュ力さえあれば、誰でもできるし、誰とでもできる。
おしゃべりは快の感覚を伴う。楽しいし、面白い。
FUNNYな方の、面白さだ

 

次に、対話。これは、それぞれがオープンである必要がある。
それぞれがそれぞれの価値観をぶつけ合うイメージ。
これは、相手のことをある意味で「信頼」していないとできない。
対話したいな、と思う相手と、別にいいな、と思う相手がいるのは事実である。
お互いに自分の奥底まで掘り返しながら話すので、とても刺激的だ。
相手のことをもっとよく知れるし、新たな発見があることもしばしば。

 

最後に、議論。これは、ある程度の頭の回転の早さ、視野の広さを求められる。
「対話」に、他者の目線を足したイメージ。
対話が、お互いの世界で完結するのに対して、議論はそこに普遍的な概念や社会一般の考え方を織り交ぜる。そして、二人の中で、ある「問い」に対する共通理解を作り上げていく。
議論をするときは、頭をフル回転している。どんどん自分の「もやもや」が「くっきり」になっていくので、興奮する。

 

この3つだ。

 

私には、様々なタイプの友人がいる。

 

おしゃべりだけをずーっとしている友人がたくさんいる。
そこから対話に発展できた友人が少しいる。
特殊で、議論しかできないタイプの友人もいる。
私は、これらの友人がおしなべて大好きだ。

 

だが、ほんの少し。
おしゃべりも、対話も、議論も、それぞれを全く均等に、そして対等にできる友人が、いる。その人数は、両手の指で数えられる程度だ。
そういう人たちは、私にとって、「大好きな人」ではなく、「大切にしたい人」になっていく。
知り合った時期も、一緒にいた時間も、それぞれバラバラだけれど、大切に思う気持ちは変わらない。

 

私はコミュニケーションが大好きな人間だ。だからこその「かもかたーる」だし、だからこそのこのnoteである。
そんな私にとって、この「大切にしたい」友人たちに出会えることは、本当に幸せなことであると、しみじみかんじる。彼らととるコミュニケーションは、いつだって刺激的で、涙が出るくらい楽しくて、心がハグされたような気持ちになる。

 

全ての人とそういう関係性を築きたいとは考えない。「おしゃべり」の関係にはおしゃべりの関係なりの魅力もあるからだ。ただ、そういう「大切にしたい」友人が何人かいることは、私の人生を確実に豊かに、そして美しくしてくれている。

 

ありがとう!!と、言っておきたい!!

ブログ、お引っ越しのお知らせ

こんにちはミューです

 

この度、このブログはお引っ越しをすることになりました!

 

行き先は、noteです。

noteのリンク→

note.mu

向こうでもたわごとを吐き散らして行くので、もしよければ見てね。

 

よろしくしく〜