みゅーのたわごと

あんまり気張らずにのそのそ続けられたらいいね。

対話と議論とおしゃべりと

(noteの方に母体は移行しましたが、なんだかはてブロを辞めちゃうのはもったいない気がしたので、こちらにも同じ記事を残しておきたいと思います!今回は、3日前に公開した記事を。どうぞ)

 

 

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私にとって、人とのコミュニケーションは3種類存在する。

 

おしゃべり・対話・議論
この3つだ

 

まず、おしゃべり。これは、チャットのようなものだ。
思考がほとんど停止した状態で、
溢れる言葉をペラペラとつないでいくイメージ。
コミュ力さえあれば、誰でもできるし、誰とでもできる。
おしゃべりは快の感覚を伴う。楽しいし、面白い。
FUNNYな方の、面白さだ

 

次に、対話。これは、それぞれがオープンである必要がある。
それぞれがそれぞれの価値観をぶつけ合うイメージ。
これは、相手のことをある意味で「信頼」していないとできない。
対話したいな、と思う相手と、別にいいな、と思う相手がいるのは事実である。
お互いに自分の奥底まで掘り返しながら話すので、とても刺激的だ。
相手のことをもっとよく知れるし、新たな発見があることもしばしば。

 

最後に、議論。これは、ある程度の頭の回転の早さ、視野の広さを求められる。
「対話」に、他者の目線を足したイメージ。
対話が、お互いの世界で完結するのに対して、議論はそこに普遍的な概念や社会一般の考え方を織り交ぜる。そして、二人の中で、ある「問い」に対する共通理解を作り上げていく。
議論をするときは、頭をフル回転している。どんどん自分の「もやもや」が「くっきり」になっていくので、興奮する。

 

この3つだ。

 

私には、様々なタイプの友人がいる。

 

おしゃべりだけをずーっとしている友人がたくさんいる。
そこから対話に発展できた友人が少しいる。
特殊で、議論しかできないタイプの友人もいる。
私は、これらの友人がおしなべて大好きだ。

 

だが、ほんの少し。
おしゃべりも、対話も、議論も、それぞれを全く均等に、そして対等にできる友人が、いる。その人数は、両手の指で数えられる程度だ。
そういう人たちは、私にとって、「大好きな人」ではなく、「大切にしたい人」になっていく。
知り合った時期も、一緒にいた時間も、それぞれバラバラだけれど、大切に思う気持ちは変わらない。

 

私はコミュニケーションが大好きな人間だ。だからこその「かもかたーる」だし、だからこそのこのnoteである。
そんな私にとって、この「大切にしたい」友人たちに出会えることは、本当に幸せなことであると、しみじみかんじる。彼らととるコミュニケーションは、いつだって刺激的で、涙が出るくらい楽しくて、心がハグされたような気持ちになる。

 

全ての人とそういう関係性を築きたいとは考えない。「おしゃべり」の関係にはおしゃべりの関係なりの魅力もあるからだ。ただ、そういう「大切にしたい」友人が何人かいることは、私の人生を確実に豊かに、そして美しくしてくれている。

 

ありがとう!!と、言っておきたい!!