みゅーのたわごと

あんまり気張らずにのそのそ続けられたらいいね。

どんな時でも、劣等感を抱かなくなった。

気づけば一年前、私は劣等感の渦の中にいたなあ。

2017年10月、SFCAO入試。ライバルはいわゆる「スーパー高校生」。
みんながそれぞれ自分の「今まで突出してやってきたこと、学んできたこと」を大きな力に変えて、慶應義塾大学に挑んできてた。

いうなれば、席取り大会。武器は、「自分の過去」。

私には、何もなかった。いや、何もやってきてないって、「思ってた」。だから、この受験戦争の中で、何度過去の自分を恨んだかわからない。

部活畑で育ってきた私には、社会的に評価されたものが何一つなかった。他のみんなと違って。コンクールに出たこともないし、何かすごい賞をとったこともない。ただひたむきに5年間、ミュージカルを追いかけてきただけ。毎日朝から晩まで、夏休みも冬休みも返上して、踊ってた、歌ってた。引退前最後の公演ではオーディションを勝ち抜いて主役にもなった。それだけは、自分のプライドのはずだった。

でも一歩、外に出てみたら。みんな、すごすぎるんだよ。なんでそういう思考に至るの?なんでそうやって行動しようと思うの?部活っていう小さなコミュニティに必死になっていた私には、もうほんとに、訳がわからない状態だった。

そんな人たちと、戦った入試。

運良く私は一次試験免除の資格をいただけていたので、二次試験の面接に全てを賭けた。

必死だった。自分をなるべくうまく見せるのに。
自分もあたかも「スーパー高校生」であるかのように振舞って、必死で、背伸びしてた。はっきり言って、苦しかった。

そんな思いでもぎ取った合格。

背伸び、しちゃったんだよな。

大学に入ってもしばらくは、劣等感が拭えなかった。

だってそりゃ、周りは「元」スーパー高校生なんだもの。

何もない私と、すでに何かしら結果を残している彼ら。

大分歪んだメガネで、そういう構図を捉えていた。

だから春、大学始まってすぐは、いろんなことに手を伸ばした。いろんなところにインターンに行ったし、いろんな人に会おうとしたし、いろんな経験を積もうとした。

多分、トラウマだったんだと思う。もう二度と、あの虚無感を覚えたくない。「自分は、何も持っていないじゃん」って、感じたくない。

少しでも、上に、上に。

でもあるとき、気づいたの
私は、なんのためにこれをやってるんだ?

誰かと比較して、少しでも自分が上にいると感じて、優越感を得るため?
他人から「みゅーすごいね」って、褒められるため?

問いに対する答えは、どれも、全部、他人本位だった。

つまんねえ人間だな!!!!!!!!!!

 

すみません、急な乱文。

でもはっきり言って、ほんとに、そう思った。
他人の評価ばっかり気にして、他人のために生きて、何やってるの?

突然、さめちゃった。

だからそれから私は、他人を気にする事をやめた。完全にやめた。

自分のペースで、自分がワクワクすることだけを、することに決めた。

他人に刺激を受けることはある。それはたくさんある。頑張っている誰かの姿を見るとそれはものすごいモチベーションにもなるし、すっごく糧になる。

でも、他人の価値基準で行動することは、全くもって無くなった。
あくまで他人は他人だし、自分は自分だから。
(あ、なんかここで気づいたけど「他人」ってちょっと冷たいからよくないね、言葉のニュアンス的に。要するに「自分」「周りの人」をはっきり分けたの)

そうしたら、劣等感を抱かなくなった。焦らなくなった。

だって、自分の価値を決めるのは自分になったから。相対評価を抜け出して、絶対評価になったから。

 

昨日のSAP(SFCのサークル主催のビジコン)でも、それは一緒で。

周りの参加者はみんな、すでに起業して社長になっていたり、ごりごりシステム開発してたり、要するに客観的に見たら私の数百歩先を行っているような人がほとんどだったけれど。

全く焦りを感じなかったし、なんなら「そんなにすごい人たちと一緒に戦えるなんて、最高じゃんか!勝ちたいぞこれは!」って思った。

一年前の自分だったら、そんなことなかっただろうなって。
すごい周りと自分を比べて、劣等感に陥って、もう無理じゃん・・・ってなっていたと思う

けれど、今の私はそうではない。

そのことが、はっきりしております

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